はじめに
父が獣医をしていたことや、自然豊かな地方都市で幼少時代を過ごしたこともあって、小さい頃から動物と触れ合うことも多く、よく犬も飼っていました。私が育った実家では、長く一緒に過ごした愛犬が歳でいなくなり、その後、両親も高齢となり、動物を飼う事はしなくなっていたのですが、たまたま実家の物置きに迷い込んできた子猫がそのまま住みつくこととなり、改めて名前を考える暇もなく、「ニャン子」になり既に22年間生き続けています。このニャン子は、実家の両親以外に慣れなく、他の人に姿を見せません。実家に泊まりで行くと、ニャン子はその間いつの間にか家出をしてしまいます。
聞くと、このニャン子は、ネズミ、モグラ、スズメを取ってくるようです。食べるでもなく、人に見せるため置いて行くので、後片付けが大変だと言っていました。その時、猫は狩りが上手なのと、飼い主に獲物を持ってくる可愛さがあり、猫に対して今までの認識と違った気持ちを持ちました。事の始まりは我が家の裏で三年ほど前に子猫を産んだメスなのに名前が「ニャン太郎」という猫との出会いでした。それから本書を書くきっかけとなった、このニャン太郎との親密な付き合いが始まったのでした。猫の素晴らしさを改めて思いっきり感じ、その不思議さと奥深さを皆様に少しでもお伝えできれば幸いです。
廃墟となった独身寮
我が家の前には、30年程たつ大きな独身寮がデンと構え建っています。休日ともなると、車やバイクを洗っている若者の姿が見受けられ、裏手の入り口では食事のおばちゃん達が時折出て来て雑談していました。駅から帰って来る途中、この寮の玄関わきを通り過ぎ裏手に回ったところでやっと我が家にたどり着きます。ここに住み始めてから10年間、生き物と云えば寮の周りに生い茂っている木々に群がる小鳥ぐらいしか目にする事はありませんでした。たまに、側溝を走り去る大きなドブ鼠を見て、猫でも居たら現れないだろうとの思いを持って歩いていました。最盛期には200人以上住んでいた寮の住人がだんだんと減っていき、おばあちゃんの姿もたまにしか見る事が無くなってきた頃から、寮の裏手を通り過ぎ大きな黒猫と白黒の猫を頻繁に目にするようになりました。夕方、おばちゃんが裏手の入り口から出て来ると、何やらお椀の様なものを置きしばらくしてから猫が寄って餌を食べていました。人が減り始めてから数年が経ち、完全にこの寮から人気が無くなった頃、以前にも増して猫が寮の裏手を歩いている姿が見受けられるようになりました。この2匹以外にも何匹か違う猫がいる事も我が家から見て取れました。不思議と猫達が、この寮の敷地内から外へ出て歩き回る姿を、見る事はほとんどありませんでした。寮の敷地の外へ出て来る事が無かった猫達も、ある時期から隣にあるアパートのゴミ捨て場で見かけるようになり、そのうちに、何匹もここに現れ奪い合いも始まりました。実家の猫と少なからず接して、猫に対し関心を持ち始め、土日窓の外から見える猫をそっと観察するようになり、特に最初の頃見つけた黒猫と白黒の猫の足取りを追っていました。大体この2匹は、一緒に行動することが多く黒猫のオスの方は、このゴミ場を中心として歩き回っていました。しかし、この寮が閉まって一年が過ぎ、道を隔てた隣にあるほぼ同じ大きさの別な寮も気が付いた時には閉寮となり、この別な寮の方に居た猫たちもこのゴミ捨て場に集まるようになって、いつの間にかこの黒猫と白黒の猫は、私の目の前から姿を消していきました。今、思うとこの黒猫に名前を付けてやれなかったことが残念でなりません。大きくてゆっくりと歩き、白黒の猫の後を追い、歩き去る姿に何故か優しさを覚えました。
「ニャン太郎」との出会い
ひょんなことから外ネコと親密な付き合いが始まりました。事の始まりは我が家の裏で3年ほど前に子猫を産んだメスなのに名前が「ニャン太郎」との出会いです。ある日から頻繁に玄関を横切る白黒のネコを見かけるようになりました。最初の頃、餌をやろうとしても見向きもせず通り過ぎていましたが、そのまま餌を玄関の外に置いておくと、いつの間にか食べるようになっていました。しばらくその状態が続き、警戒心が多少解けてきたのか、餌を置いたままその場に居ても逃げないで食べるようになりました。ある時、いつもは玄関の前で餌を食べていたニャン太郎が、餌をくわえたまま家の裏の方へ向かうので姿を追ってみると、そこには、なんと子猫が2匹待っていて、餌を与え出しました。その後、だいぶ慣れてきたのか、子猫を引き連れ、餌を食べに玄関前に来るようになりました。餌箱を置くと最初にニャン太郎が食べ出したので、やっぱり親はお腹が減って先に食べるのだろうと思っていたら、ちょっとだけ食べてから、餌の皿に頭を突っ込んできた子猫に食べるのを譲り、子猫が食べ終わって餌箱から離れてから、残り少ない餌をニャン太郎は再び食べ始めていました。それから1,2カ月が過ぎ、人に慣れていた方の1匹の子猫だけ残し、ニャン太郎ともう1匹の子猫は、この場所から姿を消してしまいました。残ったのは、毛が真っ黒で尻尾が曲がっているメス猫で、名前をマルと付けました。それから半年位過ぎた頃、突然ニャン太郎が現れ、自分と同じカラーリングの白黒の子猫1匹を連れて来ました。マルに餌を与える時、一緒にニャン太郎と新しい子猫にも餌を与えていたところ、一週間もしないうちに再びニャン太郎は白黒子猫をここに残して、再び姿を消してしまいました。この白黒子猫はオスで、チビと名付け内ネコとして、マルと一緒に外で飼うことにしました。マルが生まれてから1年以上経った頃、今度はマルのお腹が大きくなってしまい、捕まえられなく避妊手術が出来なかったことを、その時後悔しました。しばらくして、子猫を産んだ後に時期を見て、避妊手術処置をしてあげました。
古タイヤで生まれた4匹の子猫
車好きの息子が、たまたま玄関の前に使い古した幅広タイヤを、二段に重ねて置いていました。その中に、期待していた通り、マルは子供を4匹産みました。マルは思った通り賢いネコで、いつも玄関先で餌を貰っているその脇に置いてあった古タイヤの中を、子ネコの住み家にしたのです。これで、餌を食べている間、子ネコの心配をしないで済みます。食住接近です。生まれたのは、黒ネコ2匹、白黒と白茶それぞれ1匹ずつです。2匹の黒猫の内、マルと同じ様に尻尾が曲がっている黒ネコオス名前がキキと、白茶オスのミントを家の中で飼うことにして、他2匹は乞われて知人に引き取られて行きました。しばらくの間、外ではマルとチビが、寒い時は重なるように仲良く一緒に寝て、毎日一緒に餌を食べていました。そこに、ミントに似た大きなオスが朝の食事に加わるようになり、3匹が特に喧嘩もせず食事をするようになりました。ある時、チビと餌場の前の道路で遊んでいると、急にチビが道路を横切るように走りだした瞬間、前を走って来た車とぶつかり、跳ね飛ばされました。チビは直ぐに立ち上がり、その車を50メートル程追いかけて力尽き、道路の側溝にうずくまってしまいました。そばによって様子を見ると、鼻から血を出し口が閉まらないのか、開いたまま涎を垂れていました。捕まえようとしたのですが、興奮して手がつけられず走って逃げ去ってしまいました。その日はとうとういくら待っても帰ってこなく、また、翌日も、翌々日も帰ってきませんでした。居無くなって3日後、連休が始まるのをきっかけとして、この辺の周りを探し始めましたが、昼間はネコ自体姿見えず、すぐに早朝探しに切り替え、餌を求めて集まっていそうな所を探しました。100メートルくらい離れた所にある、最近閉鎖した大手の寮跡の玄関前に、早朝ネコが集まっていて、多分今まで餌を貰っていたのだろうか、以前と同じ様にじっとして誰かを待っていました。しばらく見ていると、諦めて去って行くネコや、後から来るネコもいて、ひょっとしたらチビが現れる期待もあり、連休中毎朝様子を見に、この寮の玄関に足を運び、ついでに餌も持って通いました。見つからないまま、連休も過ぎようとした頃、ふと餌場に駐車している車の下を覗いて見ると、息も絶え絶えのチビがうずくまって居るのを発見しました。捕獲後すぐ病院に連れて行きましたが、レントゲン検査の結果骨折は無く、点滴以外何も治療方法が無く、しかし1カ月位食べるだけでほぼ回復しました。
この時廃寮に居たネコ達が、その後我が家の餌場に現れるようになって、今まであまり気にも掛けなかった猫の意外な側面を見る事が出来ました。
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